根生院 こんしょういん / 金剛寶山 延壽寺 / 真言宗豊山派

境内のご案内

Temple Grounds

当院の境内には、江戸から昭和にかけての石造物・尊像がそのまま残されています。 豊島区の有形文化財に指定されたものが二件、区内でも最大級の石仏が一体。 小さな境内に、江戸が凝縮されています。

図:境内の見取り図 番号を振り、下記の各項目と対応させます。
手描きのイラストで十分です。写真より親切な場合があります。

建造物

山門(赤門)/延寶六年(1678)

欅材、朱塗の門。朱塗の門は徳川家にゆかりの深い寺院に許されたもので、 当院は赤門を許された数少ない寺の一つです。通称「赤門」と呼ばれています。 朱塗は明治初期のもの。昭和二十年の戦火において、境内で唯一焼け残った建造物です。

根生院の山門(赤門)を正面から見る
赤門(2006年撮影)。左手前は水屋、門の両脇に欅。
写真:赤門(新規撮影) 正面・斜め・見上げ・欅越し。晴れた日の午前中、朱の色が最も美しく写ります。

本堂/平成十四年(2002)五月建立

鋼管杭基礎、鉄骨造、銅板一文字葺の大屋根、御影石の段縁石。 昭和二十八年に再建された堂宇を、平成十四年に改築したものです。 なお、本堂内へはお入りいただけません。お堂の外よりお参りください。

根生院の本堂。石段の上に建つ、銅板葺の大屋根の堂宇
本堂(2006年撮影)。平成十四年(2002)五月建立。

稲荷舎・水屋/明治三十五年

木造の小祠と石灯籠。稲荷舎
稲荷舎と石灯籠(2006年撮影)。
瓦屋根の水屋。中央に石の水盤
水屋(2006年撮影)。

いずれも現在地に移転した際に建造されたものと思われます。 水屋は、以前は旧境内地の閼伽井戸から湧水を引き、昼夜給水されていましたが、 周辺の建築工事により水脈が絶たれ、現在は水道水を使用しています。

尊像

薬師瑠璃光如来 秘仏。木造立像(春日仏師の作と伝わる)。室町〜江戸初期。昭和二十八年(1953)奉修理。詳しくはこちら
石造 大日如来(胎蔵界) 寛文六年(1666)。石造座像。豊島区の石仏では最も大きなものの一つ
雨宝童子
(天照皇大神霊像)
天照大神が日向の国に天降りたまいし時の御姿といわれる、雨を司る神。木造立像、嘉永六年(1853)、平成十年(1998)奉修理
正一位稲荷大明神 明治三十五年、現在地に移転した際に再興されたと思われる。平成十年(1998)奉修理
弘法大師(座像) 昭和二十八年(1953)五月 開眼。本堂内の左側にお祀りしております
石造 大日如来について

大日如来は密教では教義の中心の仏。大日如来のなかには宇宙の森羅万象がすべて包まれていると考えられています。 一人一人の中にも大日如来の種が宿っているのです。

大日如来(胎蔵界)ご真言
おん あびらうんきゃん
石造の大日如来坐像。蓮華座と二重の台座の上に安置され、花が供えられている
石造 大日如来(胎蔵界) 寛文六年(1666)。豊島区の石仏では最も大きなものの一つ。蓮華座と二重の台座に安置されています。(2006年撮影)

石造物

笠付庚申塔 元禄三年(1690) 豊島区有形文化財
庚申塔 江戸時代 豊島区有形文化財
所願成就の碑 元禄十一年(1698)。市谷月桂院(現・月桂寺)が関東十刹の列に加えられた記念の碑
遍照金剛密号碑(禎信) 宝暦七年(1757)。府内八十八ヶ所にて、現存するものは少ない
遍照金剛密号碑(佐賀講) 明治四十五年(1912)
重修根生院記 大正八年(1919)。根生院の縁起が記されています
文化彫 年代不詳。万葉仮名による和歌が刻まれています
二基の庚申塔。板壁の前に並んで安置され、右の一基には像が浮彫されている
庚申塔(2006年撮影)。二基が並んで安置されています。右の一基には像が浮彫されています。
豊島区有形文化財の二基と思われますが、どちらが元禄三年の笠付庚申塔にあたるか、ご教示ください。
大型の板碑形の石碑。前面に細かな銘文が刻まれている
大型の板碑形の石碑(2006年撮影)。大正八年(1919)の「重修根生院記」でしょうか。根生院の縁起が刻まれているとのことですので、銘文が読める寄りのお写真があれば、翻刻とあわせて掲載したい一基です。
自然石の石碑。表面に数行の銘文が刻まれている
自然石の石碑(2006年撮影)。所願成就の碑(元禄十一年)でしょうか。
石碑二基。左に低い自然石の碑、右に角柱の石碑
石碑二基(2006年撮影)。右の角柱は遍照金剛密号碑でしょうか。左の自然石は文化彫でしょうか。
写真:石造物(新規撮影)
銘文が読める寄りの写真を。区の説明板があれば一緒に。

お参りに際して